文様の歴史T 飛鳥・奈良・平安時代(2)



平安時代の和洋文化

これまでは、遣唐使船の働きで、中国文化が盛んに輸入されていましたが、平安時代中期(894年)、菅原道真の意見により遣唐使船は廃止されました。そして、中国模倣〈モホウ〉から解放された日本には、貴族を中心とした日本独自の文化を完成させました。この新しい文化を和洋文化といい、純粋な日本文化の起源といえます。

現代における大和絵調

 開花する女性文化

平安時代は女性的な文化の時代といわれ、染織の世界でも女性達が競って美しい染織品をつくり出しました。「十二単」〈ジュウニヒトエ〉に表れている四季折々の草花の色彩の変化、そのハーモニー(重ねの色目)は、日本の自然からしか生まれてこないものといえましょう。

当時の衣服の実物を見ることはできませんが、絵画に描かれている場合が参考になり、その美意識は、現代の文様製作の上でも大きく役立っています。

また、その絵画においても、日本の景色や人物を美しい色彩で描いた「大和絵」に注目されます。その優雅なおもむきに満ちた表現方法は、今日のキモノに生かされています。

平家納経などにみられる金・銀の切箔〈キリハク〉や粉、野毛〈ノゲ〉(禾とも書く)と呼ばれる金・銀箔を細く切った切箔を散らしたものなどは、今日の文様表現の技術に、なくてはならないものとなっています。
とくに振袖や留袖には欠かせません。
和洋文化は、絵画や住居(寝殿造)〈シンデンヅクリ〉、衣服または装束の変化に見られます。
中でも「かな文字」の発明はひときわ大きな役割をしたと思われます。
かな文字は、女性がすすんで用いたことから女文字とも呼ばれました。
紫式部の『源氏物語』や清少納言の『枕草子』、紀貫之の『土佐日記』、『古今和歌集』など、
和歌や物語、日記などを中心とした文芸が盛んにつくられたのもこの時代です