文様の歴史V 江戸時代(1)


江戸の始まり

 徳川家康が、豊臣秀吉にかわって天下を統一したのが1603年(慶長8年)です。徳川氏は江戸に幕府を開き、265年間も政治の実権を握っていました。その長い時代を江戸時代と呼び、これまでの封建社会の中心をなす士・農・工・商の身分制度をより厳しく取り締まるようになりました。その中で最下層階級である町の商人と職人(町人と呼ぶ)が、少しずつ経済力を持ち、江戸の町の風俗・流行などの文化を開花させる時代となります。

慶長小袖
染分四季花鳥文様
寛文小袖
白地大菊文様

慶長文様と寛文文様 


江戸時代の始まりと前後して「慶長文様」と「寛文文様」が誕生しました。この2つの文様は、現在のキモノの文様のお手本となるもので、素晴らしい小袖が残されています。
「慶長小袖」の特色は、生地に綸子〈リンズ〉・紗綾〈サヤ〉を多く用い、紋・繍・摺箔で文様を表現しています。そして、円・三角・菱・不整形な形象などで区切って構成し、その上に細かくはっきりした文様を表します。全体から抽象的な印象を受けるものが多く、黒・紅・白・藍などを主体に染め分けています。
一方「寛文文様」は、大きな文様をはっきりとクローズアップするように表わし、肩から斜めに曲線を描くように裾の方へ文様が広がっています。ここで注目すべきことは、余白を取って文様をきわ立たせる意識が見られるということです。桃山時代の名残が消えて、江戸時代の新しい文化が興ころうとするめざましさを、この特殊な構成が象徴します。
現代の訪問着や付け下げの文様づけのもととなる、空間部分の生かし方は、これに習っているといえるでしょう。
              
  紅地束熨斗文染繍箔絞振袖

元禄文化の開幕

元禄時代(1688〜1703年)は、天下泰平、奢侈逸楽〈シャシイツラク〉の時代といわれ、室町の頃芽生えた庶民の文化が、いっきに花開いた時代です。商業の発達によって経済力を持った京都や大坂の町人たちを中止にした、新しい気風の文化で、上方から発祥し、やがて江戸にも伝わります。日本の町人がこぞって立ち上がった時代といえるでしょう。

松尾芭蕉が俳諧〈ハイカイ〉を文学に高め、尾形光琳が装飾画を完成させ、近松門左衛門が人形浄瑠璃の台本を書き、菱川師宣が浮世絵を描き、それらは広く庶民の中へ浸透し、民衆芸術が興こり始めました。
これまでは、貴族や武士を中心に文化は展開しましたが、元禄文化は町人が主体となる文化です。中でも、社会的・政治的に抑圧を受け、人間並みに扱われなかった町人の豊かな財力に裏づけられた教養の高い文化といえます。彼らはそこに、一種の"自由郷"を求めていたのかもしれません。
この元禄時代こそ日本の歴史の中で、消費経済が高度な成長を遂げた時代でもあります。
元禄時代は、名目的には武士の支配する世の中であっても、実質的な文化の中心は、すでに町人の手に移っていたわけです。その中で経済力を握った豪商が、"浮世を楽しむ"という形で、もっとも身近な衣食にその贅〈ゼイ〉を求めることから発展していきました