文様の解説U 小袖の文様(3) |
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江戸時代後期の特色ある文様に「御所解文様 」「江戸解文様 」と呼ばれるものがあります。どちらも、公家や武家の大奥、大名の奥向きの女性用の正装で、四季の草花を細やかに配し、一見風景文様と見えるものです。この名称は、近年になってつけられたもので、本来は、身分の高い女性には、キモノ全体に文様のある物を用いるところから、「総文様」と呼び、文様も次第に軽くなって、「右袖がかりの腰高文様 」、「裾文様 」などと呼ばれるようになりました。 風景文様と見える総文様も細部に注目すれば、山中の殿舎、鳥籠、飛びゆく子雀、御所車に蓑笠などの景物が見られ、これらは『源氏物語』や謡曲などをふまえた文芸文様に分類されることと気づきます。 いずれにしても、武家女性の日本の古典文芸に対する豊かな教養をうかがわせる文様です。しかし、その本来の意味は次第に失われ、単なる四季の草花で埋められた意匠となっていきました。 「御所解 」「江戸解 」の名称のおこりについては、明治維新を迎えて、公家や武家女中の伝統的な小袖類を、引き解いて売却されたからという説があります。 |
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染繍小袖
江戸時代後期 木村染匠所蔵
江戸後期文化文政(1804〜1829) 白木染匠資料室所蔵
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裾文様小袖 |
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誰が屏風 |
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琳派とは、いうまでもなく江戸時代初期の俵屋宗達に始まり、中期の尾形光琳によって大成された装飾画の流れを言います。 草花の個々の形体は、自然の優美な姿より造形的な形そのものの面白さが強調されていますが、描写自体には深い観察の目がそそがれています。また、光琳自身も画家としての面と初期のころより最晩年まで工芸デザインと深い関わりを持ち続け創作活動・作品においても工芸デザイン的な内容を取り入れるによって、琳派が完成されていったと思われます。そして この琳派が日本の装飾文化にはたしてきた役割は計り知れないものがあります。 |
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桃山時代になり、庶民文化の手の届くものではなかった蒔絵が、新興町衆の身近なものとなり「烏丸もの」と称されるものが出現しました。高台寺蒔絵・南蛮蒔絵などの多くはこのような町蒔絵師によって生み出されたものです。 これら町蒔絵師の作風は、技法に裏打ちされた意匠、特にその装飾効果に重きをおくものとなり、京蒔絵の伝統となって後世に伝えられてまいりました。これらの蒔絵をモチーフとして装飾デザインが生み出されて行くことになります。 |