文様の歴史U 鎌倉・室町・桃山時代(2)


幻の染の盛衰

きらびやかな織物や繍箔の盛んな中で、染物の方では「辻が花」の出現が大きいでしょう。
室町中期から桃山、江戸初期までのわずかな期間に表われ消えてしまった幻のような染。
縫い締めの絞りを主とし、描絵や刺繍、摺箔をほどこしたものですが、色調や文様構成は、
軟らかで奥深い趣があり、日本人の感情にうったえる細やかな美が宿っています。

辻が花


辻が花は、「幻の染」と呼ばれるほど、短い間しか作られていませんでしたが、
数量的にはかなりものがつくられたようで、
遺品がいくつか見られます。豊臣秀吉(1536〜98年)や徳川家康の胴服や小袖に残されています。

当時の絞り染めの技術は、手技による原始的で素朴なものですが、
この技術が盛大に用いられた理由は、文様を明確に表現したいという希望をかなえる染技であり、
むしろ絞り染の特色を目的とするより、織物や繍箔にない軽やかな美しさが喜ばれたのでしょう。


文様装飾の極み

現代のキモノの原点である小袖が日本の服装としてより一層定着したのは1467年〜1477年、応仁の乱の頃とされています。
その後、南蛮貿易の発達によって多彩な織物製品と技術が日本に輸入され、一方では辻が花の美しい染織技術が花開きました。
キモノを単なる衣服として見るだけではなく、豊かな装飾品としての効果をも十分に考慮しています。
桃山時代はそういった意味を含めて、キモノの、そして文様装飾を極限まで発達させた時代といえるのではないでしょうか。